2009 年 6 月 23 日
無償の善意になれるのか?
とても難しいお話を私なりに考えた答えを綴りたいと思います。
臓器移植法改正案が今月18日の衆院本会議で採決され、「脳死は一般に人の死」と位置付け、本人が生前に拒否表明しなければ家族の同意のみで臓器提供を可能にするA案が賛成多数で可決されました。
現行法で15歳以上とされている年齢制限を撤廃し、子供の臓器提供に道を開く。
患者団体などは、国内での提供者(ドナー)の大幅な増加につながると期待するが、脳死を人の死とすることに思い判断が下される。
私自身、この原案に却下したい。という感情がある。
もし、脳死の子がいたとして、私自身感じる事が出来る体温、髪や爪が伸び、汗や涙を出す事が出来ている子に対し、脳死だから・・・といって死んだ!とは思えない。
だって、脳は死んでも心臓の鼓動は聞こえるんですよ。
それを脳死というだけで、臓器提供で動いている心臓を止めるという。
これって殺人ですよって。
現行法で15歳以上とされている年齢制限を撤廃し、子供の臓器提供に道を開く。
患者団体などは、国内での提供者(ドナー)の大幅な増加につながると期待するが、脳死を人の死とすることに思い判断が下される。
私自身、この原案に却下したい。という感情がある。
もし、脳死の子がいたとして、私自身感じる事が出来る体温、髪や爪が伸び、汗や涙を出す事が出来ている子に対し、脳死だから・・・といって死んだ!とは思えない。
だって、脳は死んでも心臓の鼓動は聞こえるんですよ。
それを脳死というだけで、臓器提供で動いている心臓を止めるという。
これって殺人ですよって。
反対に急に移植しないといけない子がいたら・・・ですが、確かに移植が出来るならしたい。
だって代わってあげれるならいくらでも代わりたいよ。
でも、出来ないから移植の道を選ぶんですよね。
いざ、その瞬間になってみないと判断は難しいですが、きっとその場でも考えられないと思う。
自分の判断、家族との判断でもいろんな意見があるから。
誰かの中で、自分の子供の臓器が生きていたとしても、それを納得できるだろうか?
そこまで親として強く生きていれるだろうか?
私はきっと無理だ。
今の私は無理だと思う。
現実から逃げ出したいと思う。
みなさんはどのようにこのニュースを見ていただろうか?
私だっていろんな事を考えた。
脳死の子供の脳を娘の脳と取り代えれるのなら・・・と。
でも、無理な話。
できる場所ではないのだから。。。
だって、脳が機能していないんですからね。
だって代わってあげれるならいくらでも代わりたいよ。
でも、出来ないから移植の道を選ぶんですよね。
いざ、その瞬間になってみないと判断は難しいですが、きっとその場でも考えられないと思う。
自分の判断、家族との判断でもいろんな意見があるから。
誰かの中で、自分の子供の臓器が生きていたとしても、それを納得できるだろうか?
そこまで親として強く生きていれるだろうか?
私はきっと無理だ。
今の私は無理だと思う。
現実から逃げ出したいと思う。
みなさんはどのようにこのニュースを見ていただろうか?
私だっていろんな事を考えた。
脳死の子供の脳を娘の脳と取り代えれるのなら・・・と。
でも、無理な話。
できる場所ではないのだから。。。
だって、脳が機能していないんですからね。
他に人工呼吸等の機械を外してしまったら、脳が死んでいる以上、神経の中枢が働かないわけだから、自然に心臓、呼吸等も止まります。
確かに自分の家族が脳死状態になってしまったら、それを死と認めたくないですが、自分が脳死状態になってしまったら、機械によって生かされて多くの医療費を家族に払わせるよりも、機械を止めて臓器提供して、その方の中で生きつづけてもらいたい!などの意見もあるかと思います。
確かに自分の家族が脳死状態になってしまったら、それを死と認めたくないですが、自分が脳死状態になってしまったら、機械によって生かされて多くの医療費を家族に払わせるよりも、機械を止めて臓器提供して、その方の中で生きつづけてもらいたい!などの意見もあるかと思います。
私は子供については、無限の力と持っていると思っているので、ふと、目を覚ますのではないか?って。
親としてその方を希望として選ぶのではないか?って。
そのような気持ちでいる障害児の親たちの気持ちを少しでもお国の為に頑張っている人にわかってもらいたいと思っています。
そして今後は、脳死した場合に臓器を提供したくない人は予め意思表示をしておかないといけなくなる。
親としてその方を希望として選ぶのではないか?って。
そのような気持ちでいる障害児の親たちの気持ちを少しでもお国の為に頑張っている人にわかってもらいたいと思っています。
そして今後は、脳死した場合に臓器を提供したくない人は予め意思表示をしておかないといけなくなる。
普通に考えれば従来どおり提供したい人だけ意思表示すれば良いと思うのだが、今後は全く逆になる。
子供の場合には判断がつかないだろうし、大人でもいちいち生前に拒否する手続きをしておかない人が大半だろうから、事実上、今後は本人の意思が無視されて家族の同意のみ。ということになるのです。
子供がいる親はこの事をきちんと把握しないといけないと。
いつ、どのような場合でなるかわからないのですから。
ちなみにこの議論されている時、寝ている国会議員には正直、あなたたちは障害児の親の気持ちはわかるまいって怒りが出ました。
子供の場合には判断がつかないだろうし、大人でもいちいち生前に拒否する手続きをしておかない人が大半だろうから、事実上、今後は本人の意思が無視されて家族の同意のみ。ということになるのです。
子供がいる親はこの事をきちんと把握しないといけないと。
いつ、どのような場合でなるかわからないのですから。
ちなみにこの議論されている時、寝ている国会議員には正直、あなたたちは障害児の親の気持ちはわかるまいって怒りが出ました。
とても考えさせられる日記で思わずコメントをしてしまいました。
moominvalley26さんのようにお子さんがいらっしゃるお母さん方は、きっと少しでもどんな形でも生かしてあげたいという気持ちが強くあるのではないかと思います。そしてそれは、妊娠・出産を通して、生命の誕生のすばらしさを強く感じたからだと思います。
そもそもこの法律は、住民の思いや考えを元に改正されたかどうか?
これは一番大切なことですが、一番の疑問でもあります。
生きるとは?死とは?何なのか?
法律は施行されていきますが、せめて子供達がそういうことを肌で感じ考えていく機会が増えていければいいなと思います。
2009 年 6 月 23 日 7:16 PM
こんばんは。moominvalley26さん。この問題は難しい話ですね。私は複雑な気持ちです。子供は母のお腹で、十月十日大事に育てられ生まれてくる命。障害があっても無くても命ある限り生きる権利は平等…。
私事ですが、2年前から突然の告知で透析に入りました。腎臓が萎縮していて腎臓移植の道もありましたが心臓移植より提供が少なく困難と聞き、あえて腎臓バンクには登録していません。両親からの提供は年齢的に無理でした。でも腎臓の場合は透析の道があるので今は透析の力を借りて生活しています。でも時々は考えてしまいます↓↓両親が亡くなった時に腎臓を優先的にもらえるのか?やっぱり意思表示がないと駄目なのか?でも意思表示カードに記入したら順番を待ってる他人に腎臓が渡るのか?さっぱり判りません。正直、元気な両親に腎臓下さいとは言えません。辛過ぎます。だから透析で満足です。時々、親にもらえば!って言われますが、両親が生き抜いた後にもらえるようなら、もらうかもしれません…。コメントしながら考えました…臓器をもらうとか考えられないのは透析で命を繫がれていて元気に暮らしていて私の命に期限が迫って無いからなのだろうか?と。複雑です。サキナのマネージャーさんの様に奇跡を起こして透析離脱をする方が嬉しいなぁ☆
2009 年 6 月 24 日 2:14 AM
>もこぷぅさん・kirinさん
コメントありがとうございます。
とっても難しい話ですよね。
私も祖母がペースメーカーを入れていたので、いろんな事を考えながら移植ってすごいことだけど、家族のケアが大切な問題だという事を改めてこの問題で実感しました。
私も娘が万が一、発作で脳死になった時を考えたらせつなくなります。
どこかでまた目を覚ますのではないか?
もう無理・・・と誰かの助けになるのなら移植も・・・って思えるのかと悩んでしまいます。
みなさんいろんな面で大変さはあるかと思います。
今を精一杯生きることを目指して奇跡が起こることを祈りましょうよ!
2009 年 6 月 24 日 9:20 AM