SAQINA BLOG

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とても難しいお話を私なりに考えた答えを綴りたいと思います。
臓器移植法改正案が今月18日の衆院本会議で採決され、「脳死は一般に人の死」と位置付け、本人が生前に拒否表明しなければ家族の同意のみで臓器提供を可能にするA案が賛成多数で可決されました。
現行法で15歳以上とされている年齢制限を撤廃し、子供の臓器提供に道を開く。
患者団体などは、国内での提供者(ドナー)の大幅な増加につながると期待するが、脳死を人の死とすることに思い判断が下される。
私自身、この原案に却下したい。という感情がある。
もし、脳死の子がいたとして、私自身感じる事が出来る体温、髪や爪が伸び、汗や涙を出す事が出来ている子に対し、脳死だから・・・といって死んだ!とは思えない。
だって、脳は死んでも心臓の鼓動は聞こえるんですよ。
それを脳死というだけで、臓器提供で動いている心臓を止めるという。
これって殺人ですよって。
反対に急に移植しないといけない子がいたら・・・ですが、確かに移植が出来るならしたい。
だって代わってあげれるならいくらでも代わりたいよ。
でも、出来ないから移植の道を選ぶんですよね。
いざ、その瞬間になってみないと判断は難しいですが、きっとその場でも考えられないと思う。
自分の判断、家族との判断でもいろんな意見があるから。
誰かの中で、自分の子供の臓器が生きていたとしても、それを納得できるだろうか?
そこまで親として強く生きていれるだろうか?
私はきっと無理だ。
今の私は無理だと思う。
現実から逃げ出したいと思う。
みなさんはどのようにこのニュースを見ていただろうか?
私だっていろんな事を考えた。
脳死の子供の脳を娘の脳と取り代えれるのなら・・・と。
でも、無理な話。
できる場所ではないのだから。。。
だって、脳が機能していないんですからね。
他に人工呼吸等の機械を外してしまったら、脳が死んでいる以上、神経の中枢が働かないわけだから、自然に心臓、呼吸等も止まります。
確かに自分の家族が脳死状態になってしまったら、それを死と認めたくないですが、自分が脳死状態になってしまったら、機械によって生かされて多くの医療費を家族に払わせるよりも、機械を止めて臓器提供して、その方の中で生きつづけてもらいたい!などの意見もあるかと思います。
私は子供については、無限の力と持っていると思っているので、ふと、目を覚ますのではないか?って。
親としてその方を希望として選ぶのではないか?って。
そのような気持ちでいる障害児の親たちの気持ちを少しでもお国の為に頑張っている人にわかってもらいたいと思っています。
そして今後は、脳死した場合に臓器を提供したくない人は予め意思表示をしておかないといけなくなる。
普通に考えれば従来どおり提供したい人だけ意思表示すれば良いと思うのだが、今後は全く逆になる。
子供の場合には判断がつかないだろうし、大人でもいちいち生前に拒否する手続きをしておかない人が大半だろうから、事実上、今後は本人の意思が無視されて家族の同意のみ。ということになるのです。
子供がいる親はこの事をきちんと把握しないといけないと。
いつ、どのような場合でなるかわからないのですから。
ちなみにこの議論されている時、寝ている国会議員には正直、あなたたちは障害児の親の気持ちはわかるまいって怒りが出ました。