24時間TVを時々見ながら、ハリーポッターも見ていました。
24時間TVではドラマ:長瀬君がお父さん役で出ていたのですが、娘と重なっているわけでもないが、母親の気持ちがすごく伝わってきて、それでなくても涙もろい私は涙が出てきました。
何だろうね。
あまりにも人事には思えなく、私も娘も病名が付けれない、ごくまれなので・・・。と言われた時のことを思い出したのです。
どれも胸が刺さる一言一言です。
道路を歩いている親子を見た感想など私も正直思いましたから。
なぜうちの子が?って。
神様を憎んだりしました。
信用しないって思ったし。
でも、何とか乗り越えれるんですよね、親って。
生まれてきてありがとうだよ!わが娘。
今日は午前中、娘の療育の日。
いつもの時間に行ってたら見学をさせてくださいと一組の家族が来ていました。
まぁいつもの事だから気にしていないというか、普通通りに娘は療育をやる。
二歳の女の子のお母さんが娘の療育を見ながら「早く歩けたらいいのにね。」「歩けていいですね。」と一年前まで私が言っていた言葉を話す。
私も、「うちの子も三歳になってやっと歩き出し、もう少しで歩き出して一年です。私も早く・・・って思ったけれど、まだまだゆっくりしてあげてもいいと思いますよ。」と話しました。
私が一年前に不安を持っていた言葉を話し、療育の先生にはわからない会話をさせていただいたせいか、帰りの玄関先で会ったときに「何か勇気をもらえました、ありがとうございます。」と声をかけてくれました。
私が思っていることは他の方も思っていること。
その気持ちが少しでも楽になるならば、いつでも話を聞いたり話させていただきたいって思いました。
ほんのちょっとの勇気がなかなか踏み出せない。その気持ち今ならよくわかります。
昨日の夜に珍しいな~って思いながら電話をでた。
娘の療育で幼児グループをいっしょにさせていただいている男の子のママからの電話。
男の子とは療育、言語の担当先生がいっしょで娘とは数日しか違わない同級生。
ママさんとは私の上の子と男の子の上の子も同学年ということで、意気投合していたのです。
男の子は体調がいつも悪く、なかなか療育などに参加できずに入退院を繰り返していました。
今月初めに急変し、一時は命を取り止めましたが昨日の夕方に三歳という短い人生を終えました。
人事ではない・・・男の子やそのママの行動を見ていたら私もまだまだ頑張れる その子に比べたら娘はまだ障害が軽い。だから頑張れるって私の励みにしながら今までやってきました。
亡くなった・・・と聞いたとき、ママの言葉や今までの精神状態・・・大丈夫だろうか?私は尋常ではないよな・・・って娘と被らせたら涙が止まりませんでした。
明日はお通夜に娘と最後のお別れをいいに行って来ます。
娘はわからないでいるかもしれないけれど、最後の顔を見て来たいと思います。
金曜日は娘の半年振りの検査日です。
午前中はリハビリがあるため、午後一時からの検査です。
今回は障害者手帳の更新もかねて、一通りの検査をします。
その結果次第で薬の量も減るので、気合が入る1日になりそうです。
昨日は言語訓練の日
娘と月曜日に療育の先生から小学校についてのスケジュールというか、進め方の話があったことを話した。
たくさんの選択からのアドバイスがあり、今、上の子の幼稚園の未就児サークルに入れれないかと。
このサークルは3歳児までなのですが、本当ならば娘は春から年少。
でも、やっと歩き出した娘であり、まだ話せない。
幼稚園生活はまだ無理かと思う。
ならば幼稚園に交渉して、サークルに入れてもらい少しでも集団生活やルールなど覚えるように慣れさせる練習期間にして、年中から、年長からでも通わせれないかと・・・という話。
幼稚園の反応次第なのですが、昨年は歩けれなかったのでお断りされたことがあり、せつなかった気持ちもありましたが、今はそんなことは言ってられないので小学校に向けてこれから少しずつ進めていこうかと思ってます。
明日は娘の半年に一回の検査日
障害を持つ親として結果が気になるところです。
今回は脳波の結果次第で今、飲んでいる薬の減量されるかの大事な検査です。
結果でも、来年の春からなんだけど、それまでにもし、発作があれば減量せず様子観察でまた経過する事になっている。
どの検査も娘にとって、私たち家族にとっても大事な検査です。
何もなく検査が終わり、2週間後の結果を待ちたいと思います。
まったく知らない言葉でした。
確かに脳に障害がある人には音楽がいいという話だけは聞いていましたが、生演奏を聞きながらトランポリンを飛ぶというもの。
ついでに、道内でしているところがないかと・・・・私の住む市からは遠かったので断念 でも、何かしらないかとリハの先生に相談してみようと思ってる
子供用のでいいんです。
カンタンで片付けやすく、出しやすいものを・・・って。
障害が見つかった時に、先生から「今、ある脳でカバーしてくれる機能があるのでその力に期待しましょう。」と言われていたので。
この代償機能という脳にかけるしか今は正直ありません。
愛という言葉を言っていました。
その愛情で頑張れたり、希望を見れたりするのだと。
私も娘に対してこれからも愛情を降り注いで、いっしょに障害というものと付き合っていきたい。
TVを見てていろんな情報を知る事が出来てよかった。
収穫があったTVでした。
私はとってもうれしく、涙が溢れそうでしたてか、泣きました感動でしたよ。
1Mくらい離れて「おいでおいで」って呼ぶたび、ニコニコしながら歩いてきます まだ、おぼつかない、倒れこむ歩き方だけど、思い出すたびに涙が出そうになる。
リハビリのおかげでここまで来る事も出来たし、娘本人の努力でもある。
小児科の先生に「どのくらいで歩けるかわからないけれど、やるだけ頑張りましょう。」から始まったリハビリ。
リハビリの先生には「絶対、歩かせてみせる!」「目指せ!3歳!」って目標を掲げてくれました。
私も付き添いとしての2年がたち、どの成長も感動しまくりの出来事でしたが、丸二年、リハビリをしてきて先生方の力を借り、本人の努力でやっとだけどここまでやってきました。
ここまで来るのにいろんな気持ちがありました。
辛く、悔しい気持ちが交差ししながらの日々。
五体満足、どれだけ普通が良いかとか。
日々成長をする舞を見ながら私も頑張ってきました。
頑張ってこれてよかったと思うし、まだ、スタートライン これからも頑張っていこうと思う。
「復活の日」 |
私は何気なくTVをつけたら放送されており、松野明美さんが次男のダウン症を告白しているのを、自分の娘と重ねて見ていました。
私の娘は、検査結果ではダウン症ではなかったけれど、私の気持ちを松野さんがTVで言ってくれているような気持ちでした。
正直、私も最初の数ヶ月は娘の事を知らせたくない、かわいそうな目で見て欲しくないという気持ちでいました。
未だに「何ヶ月?」と言われるほど幼い娘。
成長がなかなか進まず、1年後に生まれた子供たちにすでに追い越されている。
その中で、私は小さい頃から母にいつも言われた言葉がある。
苦しい事があっても、いつも明るい笑顔でいなさい!絶対その後にはいいことがあるから、笑顔を絶やさずにいなさいよ。 |
私は嫌な事があっても笑顔を絶やさすに頑張ろうと決めていました。
その結果、娘の障害がわかった時、私のキャラが定着しているしているためか、周囲には弱いところを見せずよう自分をふるい立たせていました。
長女のおかげもあり、悔やんでいる暇をくれないよう時間が過ぎ去っていく日々を過ごさせていただいています。
私だけが苦しんでいるわけではない。娘本人も苦しいし、障害の妹を持った姉も苦しくなるはずだと、笑顔をたくさん見せてくれる子供たちに明るくいよう。涙なんて流さないと決めました。
でも、リハビリをしている娘を見たりするとまだ、申し訳ない感情にかられ、娘について思うとまだ、涙が出てくることはある。
まだまだ私自身の壁は高く、なんとか周囲とは溶け込んでいるが私自身がまだ成長が出来ていないというのは時間がかかりそうである。
松野さんは最後に
人より遅くとも道草を食ってもいいんだと愛息から教えられ、少しだけ壁を乗り越えられたかもしれない |
とても素晴らしい言葉だと思う。
私も娘が、左利きになりつつあり、本当だったら右手で・・・って思うが、字を書くことが出来れば左利きでもかまわない。
自分の力で歩け、考える事が出来る。人並みに出来れば左利きであろうが構わないって思っています。
障害があるだけでもハンデ。それに負けずに生きていって欲しいと産んだ母親は夫よりもの強い気持ちでいると私は思っています。
私は自分の娘が障害を持っているのにも関わらず、サヴァン症候群という病気を知りませんでした。
娘と同じ脳に障害がある病名なのに。。。
って言っても、このサヴァン症候群とは知的障害や自閉性障害のある者のうち、ごく特定の分野に限って、常人には及びもつかない能力を発揮する者の症状を指す。って書いてありました。
サヴァン症候群=特定の分野にのみ驚くべき才能を発揮する人達のことって障害が大きなハンデなのに、違うところで開花しているって凄い事だと思う。
このTVを見て私はまた、励まされた。
確かに、まだ私自身、娘の障害を認めつつ、どこかで嘘であってほしい。って願っているところもある。
健常者の悩みを聞いていると時には苦しくなる事がある。
普通に生まれていたのなら、今が大変であっても後から少しは楽になる。と・・・。
私は娘の障害と一生、娘と付き合っていかないととか、子供に何かあるとホントに自分を責めてしまったりと、感情や感覚をとことん心がシャッタアウトしていた時期もあった。
でも、TVとかで娘よりも重度の障害を持つ子の特集を見ると、知らない人だけど、人との出会いがきっかけで少しずつ自分を建て直すことができ、私自身の励みになって散歩とかにも出かけることが出来るようになった。
障害者の親になり、周囲をもっと見れるようになったと事は「悪いことばっかりじゃないな」って少しは 思えるまでに回復しました。
時間の流れに身をまかせることも大事なのかもしれません。
ただ、障害があって・・・・と暗く話すと同情を買ってもらいたいのか?と思ったりとマイナスな考えが出来てしまうので、明るく、娘に出来る範囲を教え込むのが毎日の日課。
子供に一番に愛情を捧げれるのは親ですからね。
1996年フジテレビで『ピュア』が放送されたのを。
和久井映見がサヴァン症の折原優香役を演じていました。
私はこのドラマきちんと見ていなかったので所々しか憶えていなく、ただ、障害者なんだな~っと思ったことだけで、結局は第三者なんだと・・・。
今思えば、きちんと見ておけば良かったと後悔しています。
とても素晴らしい世界のスゴい脳の持ち主でした。